2010年11月6日土曜日

国上中学校跡地へ

2009年新設された種子島中学校へ統合となり閉校となった国上中学校。
この国上中学校だけでなく、市内6中学校が統合となった。

国上中学校の通学区域は、国上・伊関校区全域で生徒数は市内で2番目に多く、約1900名の卒業生を送り出した。

そして、閉校となって1年と8ヶ月。

現在は、民間業者の貯蔵庫利用と、体育館の利用がある程度と聞き、中学校跡地利用について有効な活用方法を模索している我々は現地へ赴いた。

緑へ帰ろうとしているひと気の無い校舎。



散乱する学習用具やテーブルに椅子。
以前はここに多くの中学生の学校生活があり、
たくさんの、楽しいことや悲しいこと、嬉しいこともあったんだろうなと、勝手に感傷的になる。


構内をカメラ片手にウロウロしていたら、草払いのおじさんに声を掛けられた。
敷地に入るときに挨拶はしたけれど、どこかから依頼を受け、草払いをしているおじさんだと勝手に思っていた。

これが、話を聞くと違った。

おじさんは近所に住む、国上中学校の卒業生だということが分かった。
草払い自体は誰に頼まれてやっているわけでも無く、仕事が早くひけたときに行っているボランティアとのこと。
学校は閉校してしまったけれど、行事で帰郷した校区の卒業生やその孫、子が国上中学校を訪れることがあるという。そんなときに、雑草の生い茂った母校の悲しい姿を見せるわけにはいかないと、国上中学校跡地を一人黙々ときれいにされているということだった。

きれいに草払いをされているだけでなく、花壇の整備も行い、コスモスがたくさん咲くきれいな学校跡地にしたいと、目を輝かせておられた。

ちょっとうれしくなるよな、こんな話。

“愛だろ愛”と、言いたくなる。

個人的には、教育の場という地域の子供たちを育む、夢のある役割を担ってきたその場所を上回るような活用方法など見つからない。それならできるだけ、その夢ある活用方法に近づける方法を探していかなければとも思う。

おじさんの愛あるボランティア活動を見て、学校は地域住民の中心となる施設だということや、中学校跡という名を刻んだ石碑を校内に建てられても、卒業生にとっては中学校跡なんかではないんだということが強く感じられた。

text:shimbata

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